令和2年8月17日
【自公連立の前夜と明日の課題
 

 

  皆さん、今日は。コロナ禍と連日の猛暑。いかがお過ごしでしょうか。時節柄ご自愛くださいますよう心よりお願い申し上げます。

 さて自公連立は、早いもので20年を経過いたしました。我が党の議員も自公連立後の議員が多くなりました。「温故知新」、一度20年前を振り返り、その当時の社会情勢、政治状況、連立に至る党内外の生みの苦しみ、そこから見える連立の課題等を検討することも意味ある事と思います。

 これは、今年の新潟県公明党本部および石川県公明党本部の夏季議員研修会での話に少し手を加えたものです。皆様の参考にしていただければ幸いです。


                    記

○自公連立20年
 ・2019.10.5自公連立20年の佳節を迎えました。
 ・連立前夜の日本の経済及び政治状況。
 ・与党公明党に対する内外の反応。
 ・連立の課題。

○当時の日本の経済状況→「日本発の金融危機」
 ・1997(H9)11.3…準大手証券会社「三洋証券」破綻。
 ・同年11.17…北日本最大の銀行「北海道拓殖銀行」破綻。
 ・同11.24…日本第4位の規模の証券会社「山一証券」破綻。
 ・1998(H10)秋…大手である「日本長期信用銀行」及び「日本債券信用銀行」の破綻。
  →銀行は、「つぶれない、潰さない」という「安全神話」の崩壊。
  →取り付け騒ぎで長蛇の列、貸し渋り、貸しはがしで騒然。

○日本初の金融危機回避のために講じた措置(1998〜99年)
 @ 預金全額保護のための公的資金の投入。
 A 大手銀行に対する公的資金の投入。
 B 銀行の一時国有化(日本長期信用銀行、日本債券信用銀行)。
 C 公的資金による健全銀行からの不良債権の購入。
  →当時銀行に対する「公的資金の投入」については、税金による銀行の救済ということで国民の強い抵抗が予想された→従って、その法制化については安定した強い政治力が必要とされた。
  →2005年ころ、漸く金融危機は収束。

○当時の日本の政治状況→以下の通り「55年体制の終焉」により日本の政治は、少数政党の乱立と合従連衡により政権の交代がたびたび行われ、「政治的カオス」の状態になった。ことに1997年12月27日、新進党の解散によって政党や会派の数が15〜16にもなり、朝と夜で所属政党が変わっていたりして「俺は今、何党にいるかと秘書に聞き」などの名(迷)川柳が生まれた。
 ・1993(H5).8.…非自民8会派・細川内閣…55年体制の終焉
 ・1994(H6).4.…非自民6会派・羽田内閣(2か月の短命内閣)
 ・1994(H6).6.…自社さ・村山内閣(自社さ連立政権の発足)
 ・1996(H8).1.…自社さ・橋本内閣
  *96.11 → 社さ、閣外協力へ
  *97.12 → 新進党解散
  *98.6 → 7月の参院選前に社さ、連立解消 →参院ねじれ発生!
 ・1998(H10).7…自民単独・小渕内閣…参院ねじれ
  *99.10.5 …自自公連立政権発足…参院ねじれ解消!
 ・2000(H12).4…自公保連立・森内閣
 ・2001(H13).4…自公連立・小泉内閣
 (註)新進党 結成1994(H6).12.10
        解散1997(H9).12.27

○森元総理(当時小渕内閣の幹事長)の回想
 ・橋本内閣は、1998年7月の参院選で@社さの連立離脱A消費税率増額(3%→5%)により大敗、総辞職。
 ・1998年7月、参院選後橋本内閣総辞職を受け小渕内閣が発足。自民党幹事長に森喜朗氏就任。小渕内閣の喫緊の課題は、金融危機の脱却と関連法案の成立。しかし、参院にねじれが発生し、このままでは金融改革法案の成立は不可能。そこで、森幹事長による各党に対する協力要請と交渉が始まる。
 ・7.30臨時国会での参院与野党会派数…自民105、野党147(公明24)
  *公明党が自民党に協力した場合、自公129議席、野党123議席。
    僅差で参院のねじれが解消されるという状況であった。
 ・森幹事長→小沢自由党党首、菅民主党党首に協力要請→両党首ともまず衆議院の解散が先だと「解散総選挙」の実施を要求→森氏、両党首の政局優先の態度に怒りと失望
 ・田中角栄元総理の遺言→公明党は、「政局よりも国民生活優先の党」
 ・森幹事長→公明神崎代表、冬柴幹事長→快諾
 ・金融改革法案成立→両党の信頼関係醸成。宮沢元総理「金融国会では公明党に大変お世話になった」。
 ・自民→公明に「三顧の礼」をもって連立要請。

○連立要請に対する党内の反応
連立問題は、金融関連法案の賛否といった個別の法案の対応とは異なり、党の存在意義にかかわる重要な問題であるため、意見集約は困難を極めた。
<積極論>
 ・平和主義、人間主義といった公明党の政治の実現。

<消極論>
 ・社会党のように、自民党に飲み込まれ、利用される危険性。
 ・昭和39年の結党以来非自民。党員支持者の理解が得られない。
 ・4月会の傷が癒えていない。

○自公連立に対する内外の反応
 <世論の反応>
 ・公明党が与党になったら何をするかわからない。
 ・公明党は、野党として政府の批判勢力に存在意義がある。

 <党員・支持者の反応>
 ・1964(S39)年の結党以来、非自民の公明党。
 ・社会党のように自民党に飲み込まれる。消滅する。
  *社会党は、1945年結党以来→非武装中立路線→「自衛隊憲法違反、安保廃棄」…ところが、1994年自社さ連立政権→「自衛隊合憲、安保堅持」に変更→1996.1.19解散

○自公連立の意義
 ・連立20年は、日本の憲政史上初めて。
 ・政治の安定→「数の安定」と「質の安定」に寄与。
 ・塩崎元厚生労働大臣の「一粒の新薬」の話
  「一粒の新薬が発見された、自民党は『この新薬をどうしたら日本全国に売りさばくことができるか』という生産者目線で販売ルートを考える。同じ新薬を見ても公明党の皆さんは、『この新薬、副作用はないのか?』という消費者目線で考える。
  この生産者目線と消費者目線というベクトルの違う政党が一緒になって政治をやることに政治のウイングが広がる」。
 ・自民→国家、大企業、大都市…「統治者」の目線
  公明→庶民、中小・零細企業、地方…「被統治者、弱者」の目線

○国民目線の政治の実現
 ・政労使会談の実施や最低賃金法の改正。
 ・幼児教育・高等教育の無償化。
 ・全世代型社会保障制度の実現。
 ・軽減税率の実現。
 ・平和安全法制(集団的自衛権行使容認にブレーキ)。
 ・全国民一人当たり10万円の特別定額給付金を実現。

○連立20年、世論調査の結果(共同6.20〜21)
 1、安倍内閣を支持しますか、しませんか
  ・支持する36.7、支持しない49.7、わからない、無回答13.6
 2、支持する理由
  ・首相を信頼10.1、・自公連立だから12.6、首相に指導力5.6、経済政策に期待6.8、外交に期待9.6、他にいない53.9
 3、不支持理由
  ・首相が信頼できない43.1、自公連立だから3.8、経済政策に期待できない20.1、 外交に期待できない2.2、首相にふさわしくない14.6、その他2.9
 4、連立政権発足当時は、「自公連立だから」の数値が現在と逆であって、支持するが3%前後、支持しないが12%前後であった。

 この20年間、公明党所属議員や党員・支持者の皆様のご努力に衷心より感謝申し上げたいと思います。
 私達は、これからも決して自民党に埋没することなく、我が党の立党精神をしっかり踏まえ、公明党の旗を高く掲げて進んでまいります。

○源泉渾渾、大河滔滔
 ・小渕総理の公明党への気配り。
  @ 民事法律扶助制度の実現。公明党の手柄に。
  A 斡旋利得処罰法。「職務の廉潔性」か「政治活動の自由」か。
 ・二階国対委員長、自公連立「南紀白浜」の誓い。
 ・「うちの親父は、GNP」(二階国対委員長の秘書)。
 ・大島国対委員長、「悪代官と越後屋」の交わり。
 ・政界の「ラスト・サムライ」、大島理森国対委員長。
 ・09年落城。「江戸城無血開城」へ。
 ・「人生の並木道」と「異国の丘」と「複数系連立方程式」イコール「団結」
 ・伊吹元衆院議長、安倍総理に「連立の信義」を説く。
 ・軍師伊吹幹事長の読み的中!民主党政権崩壊。
 ・憲法改正問題、自民党法務大臣経験者の矜持。
 ・平和安全法制。安倍総理、安保法制懇の梯子を外す。
 ・軽減税率。安倍総理、税調会長の首を取る。
 ・麻生総理のお茶目は、「秀吉」級!
 ・菅官房長官に托した「腰越状」。
 ・政界の貴公子、民主党岡田克也氏の嘆き。

○自公連立の要諦
 ・連立の要諦は、深い「信頼関係」と適度な「緊張関係」。
 ・中北浩爾氏(一橋大学大学院教授)箸「自公政権とは何か」
  →「自公政権は、2009年から12年までの3年あまりの中断を挟んで、16年以上にわたって続いている。自民党の「一強」状態にあるといわれる12年以降も、公明党との連立政権である。誤解を恐れずに言えば、日本政治で唯一の安定的な政権の枠組みになっている。それはなぜなのか。・・・」
 ・同教授。朝日新聞2019.1.31コラム「自公連立20年、野党は学べ」
  →「野党が連立政権を本気で樹立しようと考えるならば、民主党政権の失敗を反省し、自公政権から学ばなければならない。野党に対しては高姿勢が目立つ安倍晋三首相を含め、自民党が友党(公明党)に示してきた謙虚さを、立憲民主党が身に着けることができるか」。
 ・司馬遼太郎氏著「明治という国家」
  連合艦隊とバルチック艦隊との日露海戦。「艦橋で旗のようにして立つ東郷(連合艦隊司令長官・東郷平八郎)と頭脳の秋山(真之)、部署部署で働く人々といった役割分担がうまく行っている。日本人が持っている組織の力学といったようなものの一つの典型をなしたような感じがします。もっとも、このマネを太平洋戦争でもやって、型は破綻しました。基礎設計者の山本権兵衛を得ず、東郷を得ず、秋山を得ずして型だけをマネしても仕方がないことです」。

以上

2020年8月吉日

公明党顧問 漆原 良夫