平成14年9月25日 (No.39)


拉致の海・日本海
 
夕日の沈む美しい新潟の海に向かって、横田めぐみさんの御両親は、このように語っておられました。
 ・めぐみは、私達が今立っているこの浜辺から拉致されたのです。
 ・こんなに美しい海で、あのような残酷な事件が起きた などとは、とても考えられません。
 ・あの海の向こうにめぐみが生きている。許される事ならば、私達が直接北朝鮮に行ってめぐみを探したい。
 でも、国交がないために行けないのです。

 拉致事件発生から25年間、被害者の家族の方々はどんな思いでこの日本海を見つめてこられたかと思うと、胸が痛みます。家族の方々にとって、夕日の沈む美しい日本海は、肉親の情を無残に引き裂く「拉致の海」「国境の海」だったのです。

9月17日、小泉総理は訪朝され、日朝国交正常化へ向けて歴史的な第一歩を踏み出されました。
 「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化なし」との小泉総理の決意に、御家族の皆さんは「これで永年の苦労がようやく報われる」と、熱い思いを総理に託したのです。
 しかし同日、外務省飯倉公邸で、被害者の御家族は「8人死亡、5人生存」という思いもよらない説明を受けたのです。しかも当日は、死亡年月日も死亡原因も知らされず、家族の皆さんは「死刑宣告」を受けるような気持ちだったと語っておられました。
 後日、当時外務省は「非公式」ながら死亡年月日が記載されていた安否リストを入手していたことが判明し、その不手際が強く指摘されました。

外務省の飯倉公邸で「安否の通告」を受けた御家族の皆さんは、衆議院第一議員会館で記者会見を行いました。私も立会いましたが、本当に辛く悲しい記者会見でした。
 「20年以上も待っていたんだ!“死亡”と言われただけで、はいそうですかと納得する訳にはいかない!。 いつ、どんなふうに死亡したのか明らかにされない限り、死亡を認めるわけにはいかない!」「外務省は、なぜもっと詳しい状況を北朝鮮に要求しないのか!」
  御家族の方々の共通の思いであり、怒りでありました。後日公表された「北朝鮮側が示した拉致被害者の死亡年月日」は、次のようになっていました。
   横田 めぐみさん   98.3.13(28歳)
   有本 恵子さん    88.11.4(28歳)
   石岡 亨 さん     88.11.4(31歳)
   松本 薫 さん     96.8.23(43歳)
   田口 八重子さん   86.7.30(31歳)
   原 敕晁 さん     86.7.19(49歳)
   市川 修一さん    79.9.4(24歳)
   増元 るみ子さん   81.8.17(27歳)

 何故、このような若さで死亡したのか。何故、有本さんと石岡さんは同じ日に死亡したのか。死亡までどこでどのような生活をしていたのか…等々。政府はこのような御家族の疑問に明確に応えるべきであると思います。

共同記者会見の席上、御家族の方から政府、外務省、国会の責任に言及され「共産党・社民党はこれまで一体何をしてきたのか」と厳しく指摘されました。
 北朝鮮はこれまで一貫して「拉致事件など存在しない」との態度をとってきました。自民党の有力議員や社会党などは、拉致事件よりも国交正常化交渉を優先させてきました。そして共産党も「政府は拉致の確たる証拠を示していない」などとして拉致事件の解決を日朝国交正常化交渉の前提とすべきではないと主張してきていたのです。
 しかし今回、金総書記は、これまでの主張を一転させ、拉致の事実を明確に認め、謝罪をしたのです。
被害者の家族の方々は、これまで拉致の事実を否定した北朝鮮と共同歩調を取ってきた共産党の主張に対して、どのような無念の思いをされてきたか、想像に難くありません。共産党は、被害者の御家族の皆様に、過去の誤りを認め、謝罪されるべきではないでしょうか。

公明党神崎代表は、9月18日政府与党連絡会議で、総理に対して次の申入れを行いました。
 ・拉致問題は、断じて許すことのできない行為だ
 ・10月の交渉再開前に、早期に、事務レベルでも、生存者の早期帰国、事実関係の解明、責任問題追求などに取り組んでほしい

私も神崎代表の考えに同感です。「国交正常化交渉の開始前」に拉致問題を解明すべきと考えます。
 かつて外務省の中には「拉致にこだわって、国交正常化が進まないのは、国益に反する」といった声がありました。又、今も国会議員の中には、そのように考えている人達がいます。このような状況の中で、国交正常化交渉が始まったならば、拉致問題が先送りされることは明白です。
 私は、主権の侵害を排除し国民の生命を守ることは、国家の義務であると確信しています。国民の生命に関わる問題について、公明党は決して“ものわかり”の良い政党であってはならない。徹して一人の人間を大切にする政党でなければならないと確信しています。