令和7年9月16日
第12ノ巻(杉浦正健法務大臣編)】
 
今ㇵ昔、日本国法務大臣ニ、杉浦正健トイウ人アリケリ



                 記

<死刑執行は、致しません>
〇杉浦正健先生は、第76代法務大臣です(在職期間05年10月31日~06年9月26日)。 2005年10月、第三次小泉内閣の組閣です。官邸から杉浦先生に呼び込みがあり、小泉総理から法務大臣就任への指名を受けました。
〇その後、恒例の官邸での記者会見です。記者の「死刑執行命令に署名されますか」との質問に、何と!杉浦新法務大臣は「しません」(杉浦正健著「失われた20年」)と答えたのです。法務大臣の死刑執行拒否宣言は、憲政史上初の出来事です。さあ!記者会見場は、大騒ぎです。 先生は後日、その時を振り返り「私は、『死刑廃止論者』でも『死刑存置論者』でもなかった」(前同)が「明治8年生まれでありながら、義務教育も受けていない祖母きわが、蚊やはえも殺さない一生を送ったことが思い出された」(同)、と述懐されておられました。
〇先生の発言には、衆議院法務委員会でも賛否両論、厳しい議論が展開されました。  しかし先生は「『人の命を奪ってはいけません。』これは、私のお婆ちゃんの教えであり、遺言です。私の信念です」と「お婆ちゃんの遺言論」で法務委員会の議論を押し通してしまったのです。「お婆ちゃんの遺言論」は、意外と堅固で、法務委員会の論戦では、死刑存置論者の論客もこれを打ち破ることが出来なかった、と記憶しています。 先生は、小泉総理の信任も厚くこの「しません」発言で大臣を罷免や更迭されることもなく、全力で法務行政に専念されました。そして、①刑事施設の過剰収容問題の大幅改善、②外国人犯罪の激減、③「就業支援センター」など再犯防止策の強化、④「司法支援センター」の新設などの司法制度改革の推進、⑤犯罪被害者対策の前進など、多くの業績を残されました。もちろん、先生の法務大臣在職中には、一度も死刑が執行されなかったことは、申すまでもありません。
〇杉浦先生は、政治家を引退後、日本弁護士連合会の「死刑廃止及び関連する刑罰制度改革実行本部」の顧問として、現在も元気に死刑廃止運動に取り組んでおられます。「お婆ちゃんの遺言」は、今も生きているのですね! <取調べの可視化の先行実施>
〇杉浦法務大臣を語るとき、「取調べの可視化の先行実施」を述べないわけには参りません。  被疑者の取調べの可視化とは、捜査の開始から終了までの全過程の録音・録画を捜査機関に義務付けることを言います。取調べの可視化は、次の二つの観点からその有用性が論じられています。  その第一は、冤罪防止です。被疑者の取調べは、警察署や検察庁の「密室」で行われます。密室における取り調べでは、被疑者の自白を得るために、誘導、誤導、脅迫、暴力、利益供与など不当な捜査が行われ、冤罪の原因となってきました。取調べの全過程が録音・録画されることによって、捜査機関による不当な捜査を、防止することが出来ます。  第二は、捜査機関自身が、捜査の適法性を立証できる事です。刑事事件では、供述調書の信用性が争点になることが多いのです。捜査の正当性を巡って延々と法廷闘争が展開されます。取調べの全過程が録音・録画されていれば、一目瞭然です。裁判期間が短縮されることによって、裁判員裁判における訴訟経済にも役立ちます。 取調べの可視化について法務委員会でも長い間議論されてきました。しかし、現場で捜査を担当する警察庁や検察庁が慎重で、なかなか実現できないのが現状でした。
〇私と杉浦先生は、「取調べの可視化を法務省だけでも先行して実施することは出来ないものか」検討しました。その結果「与党公明党の強い要請で法務大臣が決断する」という方法があることが判明し、私が法務大臣に質問することになりました。2006年2月、衆議院予算委員会の分科会で「取調べの可視化を法務省が先行実施するべきではないか」と杉浦法務大臣にその実施を迫ったのです。勿論大臣からは、積極的な答弁が返ってきました。
〇このような経過を経て法務省では、2006年から法務大臣の指揮の下、検察庁内部で先行的に取調べの可視化が実施されたのです。  その後、国会で取調べの可視化法案が成立し、2019年6月1日から施行されるのですが、杉浦法務大臣の「決断」に遅れること、何と13年!でした。  杉浦正健先生の人権意識と先見性に心から敬意を表したいと思います。そして、何時までも、お元気でご活躍をされますよう心よりお祈り申し上げます。

2025年9月16日
  元公明党国会対策委員長・弁護士 漆原 良夫