令和7年9月10日
第11ノ巻(保岡興治法務大臣編)】
 
今ハ昔、日本国法務大臣ニ、保岡興治トイウ人アリケリ


                 記

― <カルチャー・ショック>

〇1996年、初当選後の初めての衆議院法務委員会。私は、新進党(公明グループ)の1年生議員、保岡先生はキャリア20年! 自民党法務部会の大御所。
 何と、その大御所に声を掛けられたのです。「漆原さんは、弁護士さんですよね。私も法曹出身です。お互いに努力をして良い日本を作りましょうね」と。少し、はにかみながら握手を求められた保岡先生の温かい笑顔、今もハッキリと思い出されます。

〇自民党政治を倒して日本の政治を改革する!と、意気込んでいた私には、先生の一言は大変ショックでした。「一緒に努力をして良い日本を作ろう」、自民党の政治家にもこんな素晴らしい方がおられるのか、大変ビックリです。

〇ご縁とはいえ、先生とのつながりは、不思議なものでした。1999年10月5日、自公連立政権の誕生です。期せずして保岡先生と一緒に政権を担当することになったのです。そして2019年、先生がお亡くなりになる直前まで、先生とご一緒に法案成立のために尽力することになろうとは、想像すらできませんでした。


<司法制度改革>
〇2000年、司法制度改革が始まりました。この改革は、明治維新以来の我が国司法の大改革です。
 司法制度改革は、3本の柱で構成されていますが。要は、「国民がもっと身近に利用し安い制度の構築」です。
 第1の柱は、国民の期待に応える司法制度の構築(法テラス)、第2の柱は、司法を支える法曹の在り方の改革(ロースクール)、第3の柱は、国民の司法参加(裁判員裁判)です。

〇保岡先生は、法務大臣や自民党「司法制度調査会」会長として、私は、法務委員会理事、公明党「司法制度調査会」会長として、共に与党の立場で司法制度改革を牽引して参りました。
 2004年12月までに24本の司法制度関連法案が国会で可決・成立し、2009年5月、裁判員制度の開始により司法制度改革関連の法律は全て施行されました。
 私の21年間の議員生活のうち半分の約10年間は、保岡先生と一緒にこの司法制度改革に打ち込みました。
 そうそうこの間、司法修習生の給費制の復活も実現しましたね。財務省の協力も得て、廃止されていた司法修習生の給与を復活させたのです。生活の心配することなく修習に専念できると、修習生は大変喜んでいました。
 司法制度改革は、弁護士出身の私にとって、とても有意義な思い出深い経験でした。

〇ロースクール発足後の2019年、法科大学院教育の充実と時間的・経済的負担の軽減のための法改正を行いました。
 この時には、私も保岡先生もバッジを外していましたが、私は、先生とご一緒に日本弁護士連合会や法科大学院協会など関係団体と法案成立に向けて調整をさせて頂きました。そしてこの法改正が、先生とご一緒させて頂いた最後の仕事になったのです。保岡先生は、この法案の成立を見ることなくご逝去されてしまいました。誠に残念です。

<保岡先生とのお約束>
〇保岡興治先生は、私にとって「縁深き先生」、「忘れ得ぬ先生」でありました。先生のご厚情に深く感謝を申し上げます。
 先生にお伺いするのを忘れた大切なことが在ります。今度お会いしたら、必ずお聞きします。
 法務委員会室で、初当選の1年生坊主の私に「良い日本を作りましょう」とお声を掛けてくださったその心は何だったのでしょうか? 私は、先生のお声掛けに応えられたでしょうか?と。合掌。

2025年9月10日

元公明党国会対策委員長・弁護士 漆原 良夫