令和5年7月25日
第9ノ巻(国会対策委員会編)】
 
今ㇵ昔、国会ニ国対トイウ委員会アリケリ


― 国対面白小ばなし ―

 今回は、国対の役割、55年体制下の国対と55年体制崩壊後の国対の違い、国対政治の弊害、今も生きている前近代的な言葉遣いなど、思いつくままに質問と答えという形式で書いてみました。

               記

Q1,漆原さんは、公明党の国対委員長の中で在職期間が最長と聞きましたが、何年やられたのですか。
A1,はい。2006年から2014年までの8年間勤めました。

Q2,国会とか国会対策委員会に対してどんな印象を持っていましたか。
A2, メディアで指摘されている「馴れ合い政治」、「宴会政治」、「密室政治」と言った暗いイメージですかね。それに、公明党森本晃司国対委員長の話が強烈でした。

Q3,森本さんの話を聞かせてください。
A3, 森本晃司さんは、住専国会でピケ戦術の指揮を執った、武闘派の国対委員長でした。豪快な方です。
当時私は、民間の一弁護士です。森本さんは、私を国対委員長室に呼び入れて、国会や国対の仕事を説明してくれたのです。「漆原さん、国会は怖い所だよ。『政治は一寸先が闇だ』、『昨日の友は今日の敵だ』、うかうかしていると寝首を掻かれてしまう。肝心なことは、『誰と誰が、何時会って、何を話したか』これを素早く正確に掴むこと。例えば、この広い国会で誰かの机から1本の鉛筆が落ちたとする、国対委員長は、瞬時に音を聞き分け、誰の鉛筆が落ちたかを判断できなくては役に立たない」と。
党を背負って立つ森本国対委員長の壮絶な覚悟の一端に触れた思いで、深い感銘を受けました。
 
Q4,国対の役目は何ですか。
A4,よく間違えられますが、「国対」は、「国民体育大会」ではありません。国会対策委員会の略称です。
・  国対の役目は、法案審査の“交通整理役”です。
・  法律案は、衆参の委員会で審議可決された後、衆参の本会議で可決されて初めて法律になります。委員会は、衆議院に28、参議院に29委員会あります。
・  通常国会では、120本くらいの法律案が国会に提出されます。その中には、予算案のように年度内に成立させないといけない法案や、政府の目玉政策となる重要法案、野党の反対が予想される対決法案などがあります。国会が始まると衆参約60個の委員会が法案審査の態勢に入るのですが、法案に優先順位をつけて審査をしないと、国会が混乱し会期内に成立すべき法案も成立しなくなってしまいます。
・  そこで、与野党の国対委員長会談が行われ、法案審査のための協議や調整が行われるのです。全ての法案を成立させたい与党国対と法案の成立を阻止したい野党国対の熾烈な調整が展開されます。

Q5,ところで「国会対策委員会」は、法律上の根拠の存在しない日本独自の制度と聞きましたが?

A5,その通りです。衆議院・参議院に設置された予算委員会、外務委員会、法務委員会、厚生労働委員会などの委員会は、国会法などでその権限や構成、運営方法が法律上きちっと明記されています。
しかし、「国会対策委員会」の文字は、国会法や衆参議院規則のどこにも見当たりません。
即ち、国会対策委員会は国会の正規の機関ではなく、国会運営を円滑に進めるために各政党が設けている任意の委員会なのです。
又、先進国には、国対はありません。国対は、日本独自の制度です。

Q6,国対政治は、「馴れ合い政治」とか「宴会政治」と言われ、弊害も多いと指摘されていますが。
A6,はい。この質問については、55年体制下の国対と、55年体制崩壊後の国対と区別して説明します。

・  いわゆる「55年体制」下の政治状況は、自民党は「永久与党」、野党は「永久野党」、その間に政権交代は起きません。政権交代のない政治は、淀みます。そこから政治の腐敗が始まります。
・  55年体制下の国対政治は、官房機密費を使って高級料亭での接待や金品の授受などが盛んに行われていたようですね。金品の授受については、例えば、海外視察の際の餞別名目での金銭の交付、高額な靴の購入券、高級背広の仕立て券などが、使われていたようです。又、強行採決や乱闘なども事前に筋書きが決まっていて、表では激しく対決しているように見せかけ、裏では馴れ合いの政治が行われていたようですね。
・  国対政治の弊害の極みです。これでは、議会制民主主義が死んでしまいます。
・  1993年8月、非自民8会派による細川内閣の発足により55年体制は終焉しました。また、1996年10月には、政権交代可能な二大政党制の実現を目指し衆議院議員の選挙に一部小選挙区制(小選挙区比例代表並立制)が導入されました。
政権交代可能な政治体制下の与野党国対の交渉は常に緊張関係の中にありました。何時、与野党が逆転するか分からない緊迫した政治状況の下では、55年体制下で指摘されたような「馴れ合い」や「不明朗な裏取引」が行われる余地など全くありません。            
事実、2006年に私が公明党国対委員長に就任してから8年間、与党国対が野党国対幹部を料亭に接待したり金品の授受を行ったことなど、1回たりともありませんでした。

Q7, 国対委員長の仕事はどんな仕事ですか。
A7, はい。少し格好よく言うと、飛行機の離発着を安全・円滑にするために指揮を執っている航空管制塔の管制官ですかね。
・  国会に即して説明します。国会は、法律を作るところです。そして国会が法律を作るには、衆参の委員会と本会議で審議して可決されなくてはなりません。
・  衆参の委員会や本会議は、与野党国対の調整した合意に従って審議・採決がなされます。
・   国対委員長は、衆参の委員会が国対の決めた通りに進行しているかどうか、国対委員長室という管制塔から絶えず、指揮・監督をしているのです。
・  不測の事態が発生して、委員会審議が混乱や中断した場合には、即座に現場の理事や自民党国対と相談して補修作業に入りします。場合によっては、与野党の国対委員長会談が持たれることもあります。
・  国会の開催中は、法案審査のため1日に十数委員会が同時進行で開催されます。何時、何処の委員会でトラブルが発生するか分かりません。そのため、国対委員長は、国会開催中は国対委員長室を空けることが出来ないのです。その意味では、航空管制塔の管制官と同じく、緊張した毎日が続きます。
・  国会開催中は、国対委員長は一番早く国会に入り、一番遅く国会を出ます。

Q8, 国対には、今も「義理、人情」などと言う前近代的な言葉が残っているそうですが。
A8, 義理を通す、人情に篤い、仁義に悖る、メンツを立てるなど、国対では今も生きています。そうそう、口先だけでチャラチャラした若いのには「もっと、男を磨け!」などと叱ってやることもあるんですよ。
初めて聞かれる方には、少し驚きですよね。但し、こんな言葉が通じるのは、国対の世界だけです。
・  国対の任務は、交渉ごとです。押したり、引いたり、譲ったり、譲られたりです。しかも、不明朗な利益供与は、一切できません。
・  「義理に固い人」、「仁義に厚い人」、等々、お互いを言葉で縛るしかないのです。男の瘦せ我慢ですね!

Q9, 野党に転落した3年間、野党国対委員長としての仕事は何ですか。
A9, 政権奪還です。どうしたら衆議院を解散に持ち込めるか。自公の野党国対委員長の仕事は、解散戦略の1点に集約されます。

Q10, 政権交代当時の民主党は、「平成の大政権交代」とか「世紀の無血革命」とか国民にもメディアにも歓迎されていたようですが、攻略方法はありましたか。

A10, はい。民主党は、実現不可能な政策をあたかも実現できるかのようにマニフェストに掲げ、政権を執りました。
私と大島自民党国対委員長は、この「偽りのマニフェスト」を徹底して糾弾す ることにしました。
政権交代後初の予算委員会では「月7万円の最低保障年金の創設」、「月2万6000円の子供手当の支給」、「事業仕分けによる無駄金・11兆円の捻出」などに焦点を絞ってその非現実性を追求しました。
 この作戦は奏功したと思います。事実、民主党は政権を執ったにもかかわらず、結局国民との約束を実現することが出来ず、絵にかいた餅になってしまったのですから国民の信頼を一気に失ってしまいました。

Q11,最後にご自身が経験されて国対のイメージは変わりましたか。
A11,はい、大きく変わりました。
・  55年体制崩壊後の国対を貫くものは、小手先の権謀術数ではなく、国対委員長同士の高い信頼関係だということが、ハッキリわかりました。
・  最後に、野党国対とも強い信頼関係を構築した、二階俊博国対委員長と大島理森国対委員長の「国対明言禄」の一端を紹介して終わります。
(二階語録)
・  私はこれまで、野党の皆さんと約束したことは、全部実行してきた。約束を違えたり、騙したりしたことは一度もありません。
・  野党国対には、(法案成立に協力してくれたのだから)手柄の7割をあげます。与党は3割で十分です。
(大島語録)
・  (衆参ねじれ国会での国会運営の苦しみ)我慢じゃ、我慢じゃ!韓信の股くぐりじゃ!
以上

2023年7月25日
元公明党国会対策委員長
弁護士  漆原 良夫