令和5年6月25日
第8ノ巻(麻生太郎総理大臣編)】
 
今ハ昔、自由民主党ニ、麻生太郎トイウ人、アリケリ



― 「密室の恋」で繋がった麻生総理 ―
〇 「密室の恋!?」、「法律なんて無味乾燥だと思っていたら、密室の恋とは、思いのほか粋じゃねぇか」。
 私が、(総理になられる前の)麻生さんと話した最初の言葉だったと思います。 
 少年法改正法案(2000年)で自公の答弁担当者の打ち合わせの時の話です。麻生さんが、自公答弁者のキャップ。麻生さんの下で自民党は谷垣禎一さん、公明党は私がそれぞれ責任者です。総勢10名くらいです。
 法案審査中は、午前8時に集合して9時から始まる法務委員会での答弁に備えます。野党の質問者は、佐々木秀典氏(民主党・弁護士)、福島瑞穂さん(社民党・弁護士)、保坂展人氏(社民党)、木嶋日出夫氏(共産党・弁護士)、などいずれ劣らぬ論客です。
 私の担当は、公明党、社民党、共産党の質問者に対する答弁です。野党の質問に立ち往生したら法案は成立しません。与野党の議員同士による真剣勝負です。
答弁者は、法務委員会本番の答弁に備え、緊張で空気がピリピリと張り詰めていました。

〇 冒頭の麻生発言は、そんな張り詰めた空気の中、「未必(みひつ)の故意」(註)という法律用語をどのように説明するかを検討している際に飛び出した言葉です。
 全員、大爆笑です! 流石、総大将。絶妙のタイミング。緊張で張り詰めた空気が一変に和みました。
 (註)未必の故意とは、故意の一種で、結果の発生が不確実ではあるが、発生するかもしれないと予見し、かつ、発生することを容認する場合をいう法律用語です。
 例えば、被害者と口論の末にかっとなった犯人が鈍器で被害者の頭部を強く打ち付け、結果として被害者が死んだとします。この場合、犯人は「被害者を殺してやろう」とまでは思っていなくとも、打ち所が悪く死んでしまうかもしれないと認識しながら、「死んだら死んでもかまわない」と被害者の死の結果を容認した場合、これが「未必の故意」のケースです

― 麻生総理のお茶目は、「秀吉」級!―
〇 首相公邸の大広間(食堂)。広い洋間です。長く大きな机、天井には大きなシャンデリアがいくつも輝いています。
総勢30名くらい。自公幹部の打ち合わせです。
打ち合わせが、一段落した頃、突然大広間の電気が消えます。真っ暗。「停電か?」、「危機管理は?」とザワツキます。

〇 パッとシャンデリアが輝き、明るくなります。
・コックさんが、大きなケーキを掲げて入室。
・麻生総理「ハッピーバースデー・ディア・うるさん!」の音頭、全員の合唱。

〇 そうだ、今日11月18日は、私の誕生日! 総理の茶目っ気にただただ赤面、感謝です。

― 「上がり」と「崩れ」の話 ―
〇 麻生先生とは、少年法つながりで親しくお付き合いをさせて頂きました。私の主催する会にも「俺が自民党以外のパーティーに出席するのは、うるさんの会だけなんだ」と言いながら何回も出席して下さり、その都度、印象に残る激励を頂きました。
 「上がり」と「崩れ」の話は、私の衆議院議員在職10周年記念でのお話です。早速、ご紹介します。

〇 えー、皆さん!世の中には「上がり」と「崩れ」という言葉があるようですな。例えば、「彼は、裁判官上がりだ」、「あいつは、弁護士崩れだ」とか。
 「上がり」の場合は、一定の期間職責を全うした人というプラスのイメージがある。しかし、「崩れ」の場合は、何らかの事情で職責を全う出来ず途中で止めた人という、なんとなくマイナスのイメージになります。「上がり」と「崩れ」では世間の評価は大違いです。
 問題は、その「上がり」と「崩れ」の違いは「何年か?」。世間では「10年」と見ているようですナ!
うるさんは、目出度く衆議院議員10年の佳節を刻まれたようです。この先、いつ議員を辞めても国会議員「崩れ」ではなく国会議員「上がり」になられたわけです。
 まことに、おめでとうございました。

〇 この会に出席されていた、新潟市議会議員の古川久さんは、その後何年経てもこの話を思い出し「あの時の麻生さんの話は、おもしぇ(面白)かったねえ〜」と感心しきり。
 麻生先生は、誠に話の名人です。

― 3年間続いた“麻生メール” ―
〇 2014年9月、私は、8年間の国会対策委員長職を終了し、中央幹事会会長職に就任しました。その翌日より、麻生自民党副総裁からメールが届くのです。
 そのメールには、@各委員会における法案審査の状況、A法案に対する野党の賛否の状況、B予算、重要法案、与野党対決法案の審査の工程表と採決のメド、C総理出席の集中審査の回数と日程、D総理及び閣僚の外遊日程、E本会議の開催と採決等々、びっしりと書かれています。

〇 麻生副総裁からの伝言があります。「国対は、自公連立の要です。自公国対に齟齬があった時、うるさんの所に相談に行かせます。その時にうるさんが、正しい判断が出来るように国会の状況を毎日報告します。」と言うものでした。
 その後、麻生副総裁からの国対メールは、2014年9月から何と、私が政界を引退する2017年9月までの3年間、1日も欠かすことなく毎朝送られてくるのです。

〇 麻生副総裁の自公連立にかける強い思いが感じられます。
末尾ながら、これまで麻生先生から頂いた温かい友情に心より感謝申しあげますと共に、益々のご活躍とご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。
以上

令和5年6月25日
元公明党国会対策委員長
   弁護士 漆原 良夫