令和4年10月20日
第4ノ巻(安倍晋三総理大臣編)】
 
今ハ昔、日本国総理大臣ニ安倍晋三トイウ人、アリケリ



― 司法の救済が駄目なら、政治の力で救済しよう ―
         ― 祖国は暖かかった ―

〇2007年1月30日、総理官邸に集まった中国残留孤児の皆さんは、泣いていた。
 池田澄江さんは、残留孤児を代表して挨拶した。「安倍総理!有難うございました。朝は地獄、午後は天国。日本に帰って来て本当に良かった。祖国は、暖かかったです」と。
 官邸は、明るい希望と深い感激に包まれた。

〇今日は、残留孤児の皆さんが、東京地裁に国家賠償を求めた裁判の判決言渡しの日です。官邸では、安倍総理や官房長官、厚生労働大臣、与党の国会議員が既に揃って裁判の報告を待っています
 しかし、三々五々官邸に集まる残留孤児の皆さんの表情は暗く、足取りも重かった。
 東京地裁の判決は、請求棄却(原告敗訴)だったのです。

〇原告敗訴の報告を受けて、官邸は、重苦しい空気に包まれました。しかし、これを破ったのが安倍総理の次の一言でした。「大変なご苦労をされて帰国された残留孤児の皆さんに「祖国は暖かかった」と思って頂かなければならない」、「司法(裁判)の救済が駄目なら、政治の力で救済しよう」と明るく、力強く激励されたのです。
午前中の東京地裁の敗訴判決で、打ち砕かれた中国残留孤児の皆さんの胸に、再び希望の灯が点火された瞬間でした。
残留孤児原告団代表の池田澄江さんの冒頭の言葉は、安倍総理の激励を受けて「朝は、東京地裁の敗訴判決で地獄のような気持ちだったが、午後は、安倍総理の暖かい激励の言葉を聞いて天国にいるような気分です」と感謝を述べられた際の言葉です。

〇安倍総理のこの激励で、重苦しい空気は一変しました。
 残留孤児の皆さんは、「祖国へ帰る」との思いは果たせたものの、高齢であり、日本語も話せない、仕事もなく、年金もなく、日常生活や老後の保障もありません。要は、残留孤児の皆さんに対する受け入れ体制が何もないのです。
異国の地で大変なご苦労をされ、漸く祖国に帰ってこられた孤児の皆さんへの保障が「生活保護」では、余りにも冷た過ぎます。
この日以来、残留孤児の皆さんに「日本へ帰って来て本当に良かった」「祖国は、暖かかった」と実感していただこう、という思いが、官邸に集まった国会議員や役人全員の合言葉になったのです。

〇早速、自民・公明両党による「与党・中国残留邦人支援に対するプロジェクトチーム」(座長、自民党衆議院議員・野田毅氏、座長代理、公明党衆議院議員・漆原良夫)を立ち上げ、支援策の構築に全力で取り組みました。中国残留邦人に対する支援法は、2007年11月28日に成立し、翌年4月1日に施行されました。
 当然のことながら、支援策の内容は以下の通り、大変なご苦労をされて帰国された残留孤児の皆さんに相応しく、生活保護によらず、しかも人間の尊厳が保てる画期的なものになっています。

@ 老齢基礎年金の満額支給
中国残留孤児の皆さんは、これまで年金の保険料を払っていません。国が国民年金の保険料を残留孤児の皆さんに代わって追納し、満額の老齢年金を受給できることになりました。
A 支援給付制度
老齢年金を満額受給しても、なお生活の安定が不十分な場合には、支給金が給付されることになりました。
  生活支給金の他に、住宅費、医療費、介護費等の支給も受けられます。

B 配偶者支援金
支援の対象となった中国残留邦人が死亡した場合、その配偶者が、たちまち路頭に迷う事態になりかねません。
そこで、2014年10月から、残された残留邦人の配偶者に対しても支援金が支給されるように法律を改正しました。

〇司法の救済が駄目なら、政治の力で救済しよう!と言う
安倍総理の熱い決意が、中国残留孤児の皆さんに生きる希望を与えると共に、人間の尊厳を取り戻す法整備へと結実したのです。
 
〇安倍総理の大いなるレガシー(遺産)です!

― 安倍総理、税調会長の首を取るー
〇2015年10月頃の自公は、軽減税率を巡りがっぷり四つに組み、両者ともビクともしなかった。
 対象品目を「生鮮食品」に限定する自民党案と「生鮮食品と加工食品を含めた食品全般」とする公明党案の激突です。軽減税率導入の目的は、経済的弱者の救済と痛税関の緩和対策です。味噌汁、卵焼き、納豆、海苔、干物・焼き魚といった庶民の朝、昼、晩、の食卓が軽減税率の対象にならなければ、そもそも軽減税率導入の意味がありません。
 ここは「庶民の党・公明党」としては、どうしても譲れない一線だったのです。

〇自民党は、税務調査会長が公明党案に反対してテコでも動かないという状況です。
 自公両党の税調会長会談や政調会長会談でも決着がつかず、終には、局面打開のための幹事長会談が連日開催される事態となりました。しかし、それでも協議は難航し、平行線をたどります。党内に緊張が走りました。
 私は、菅官房長官と二階総務会長に自公連立維持の観点から、自民党内の意見調整を強く要請しました。菅官房長官から「よく分かっています。決して悪いようにはしない」、二階総務会長からも「公明党の言う通りに成ります。党内調整のため一晩だけ待ってほしい」とそれぞれ返答がありました。

〇ここで、安倍さんが動きました。自民党案強硬派のトップだった税調会長の首をすげ替え、党内を公明党案にまとめてくれたのです。
翌日の朝刊では、「自民党・N税調会長交替へ・事実上の更迭」「自民党税調会長宮沢氏・首相方針、N税調会長と交代」「首相、公明との関係重視」「対公明で首相決断」の見出しが躍っていました。

〇安倍さんの政治力で難局を乗り越えたのです。


         ―最大の難所を踏破!―
― 安倍総理、安保法制懇の梯子を外す ―
  
〇忘れもしません。2012年12月、政権奪還の喜びも束の間、なんと!安倍総理が集団的自衛権の行使容認を目論み、動き出したのです。こんな大事なことを、事前の相談もなく突然総理が言い出すなんてとんでもないと怒り心頭です。
 安倍総理は、自分の私的諮問機関である「安保法制懇」(正式名・安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)に憲法第9条の解釈を変更させ、現行憲法の下でも集団的自衛権の行使が可能とする結論を出させようとしたのです。
 集団的自衛権の行使に関する日本政府の統一見解は、昭和47年以来一貫して、「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない」(アンダーラインは私)という解釈です。
従って、安倍総理の考えは、これまで長年積み上げられてきた政府の統一見解を、安倍氏個人の憲法観でこれを変更しようというものです。

〇公明党は、政府見解と同様「憲法第9条の下で許される武力行使は、自国防衛の場合に限られるのであって、他国防衛を目的とする集団的自衛権の行使は認められない」という考えです。安倍総理の考えには、到底賛成できません。

〇2014年5月15日、安倍総理の私的諮問機関である「安保法制懇」は、「必要最小限度の範囲の自衛権の行使には個別的自衛権に加えて集団的自衛権の行使が認められる」とする報告書を総理に提出しました。
即ち安保法制懇は、安倍総理の思惑通り、現行憲法第9条の下でも集団的自衛権の行使は可能であるとの結論を出したのです。安倍総理は、この報告書をもとに閣議決定し、憲法9条の解釈変更、集団的自衛権の行使容認の手順を考えているのです。
公明党内の緊張は一気に高まります。安倍総理を頂点とする自民党と公明党の連立を賭けた与党協議が始まります。

〇2014年7月1日、自公の協議は「武力行使の新3要件」を閣議決定することによって決着しました。
最終的に安倍さんが折れました。「憲法第9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする」との自説を断念したのです。
自公連立を重視する安倍総理の政治決断によるものと思っています。

〇「武力行使の新3要件」については、安倍総理自身、衆議院本会議で「国連憲章51条で認められている集団的自衛権の行使一般を認めるものではなく、他国の防衛それ自体を目的とする集団的自衛権の行使を認めるものでもない」と明確に答弁し、横畠内閣法制局長官も「我が国を防衛するための必要最小限度」の武力行使を定めたものと答弁しています。
 一部のメディアは、「武力行使の新3要件」は、集団的自衛権の行使を限定的に容認したものなどと批判をしています。しかし、安倍総理や内閣法制局長官の答弁の通り、集団的自衛権の行使を容認したものでないことは明白です。

〇総理の諮問機関の安保法制懇のメンバーから、「安倍総理に梯子を外された」と恨み節が聞こえます。
しかし、自公は、安倍総理の政治決断によって連立最大の難所を乗り越えたのです。


― 山口代表にはオーラが立っていたー
〇2020年、コロナに苦しむ国民の経済対策として国民一人当たり10万円を給付する「特別定額給付金」が実施されました。
 もともとは、住民税非課税所帯に対する一世帯当たり30万円の「生活支援臨時給付金」の実施が予定されていたのですが、公明党山口代表の強い要望により、国民全体を対象とする「特別定額給付金」に変更となりました。政府が、閣議決定を変更し、編成し終えた予算の組み換えをすることは異例のことです。

〇安倍総理は、後日「あの時、直談判のため官邸に乗り込んで来られた山口代表には、オーラが立っていた」と笑って話しておられました。安倍総理の強い指導力なくして到底成し得ない事柄です。


           ― 巨星墜つー
〇安倍元総理が凶弾に斃れた! 7月8日、奈良市内で参院選応援の街頭演説の最中の出来事でした。
 憎みても余りあるこの蛮行! 余りの衝撃の大きさに言葉も思い浮かびません。国内外の多くの皆さんが、真心から弔意と哀悼の意を表してくださいました。心から、御礼を申し上げます。
 安倍さんの総理在任期間と私の国対委員長在任期間は、ほぼ重なります。思い返せば、私の国対委員長8年間は、いわゆる「安倍カラー」との戦いであったと共に、安倍さんの政治力に助けられた8年間でもあったのです。

〇公明党が自民党と連立を組んでからの総理は、安倍さんで4人目です。
 安倍さんは、これまでの小渕総理、森総理、小泉総理の3人とは、政治姿勢が明らかに違っていました。総理になるや安倍さんは、「美しい国・日本」、「戦後レジームからの脱却」、「靖国神社の参拝」、「憲法改正」など、いわゆる右寄りの理念を高々と発信し始めたのです。
 私は、正直「まるで、青年将校みたいな人だ」「大変な人が総理になってしまった」と自公連立の将来に不安を感じたものでした。

〇しかし、私の心配は、全くの杞憂でした。安倍総理は、優れて老練なリアリストでもあったのです。
 自公が充分に論議を尽くした後の安倍総理の判断は、常に公明党に配慮した現実的な解決策でした。自公が激突した「平和安全法制」、「軽減税率」、「特別定額給付金」については、公明党案を“丸のみ”して自民党を説得して下さいました。偏に自公連立を重視した安倍総理の英断の賜物と深く感謝しています

〇「うるさん!私が総理をやっている間、あなたも国対委員長を続けて、私を支えて下さいね」。安倍さん、あなたの言う通りになりましたね。安倍さんの総理在任期間は8年8か月、私の国対委員長は8年です。安倍さんと公明党の狭間で苦労もしましたが、充実した思い出深い日々でもありました。
 安倍総理!本当にお世話になりました。お別れです。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。
                             了