令和7年10月20日
【令和7年第5弾
 
自公連立解消のご挨拶

 

 皆さん、こんにちは。金木犀の芳香が、秋を感じさせる昨今ですが、いかがお過ごしでしょうか。

26年間続いた自公連立政権が、解消されました。皆さんも驚かれたことでしょうが、私も「え!なぜ?」と驚き、戸惑いました。
長い間、支援して頂いた皆様に先ずご挨拶をと思い筆を執りました。

連立離脱の理由について斎藤代表は、公明党が自民党に求めていた「政治とカネ」を巡る対応について「私たちの要望に対して明確かつ具体的な協力が得られなかった」と説明されています。

「政治とカネ」問題は、国民の政治不信を招き、衆参両院選挙で与党敗北の大きな要因となりました。私たちは、この問題の解決なくして国民の信頼は得られないと考えました。そこで公明党は、自民党に対して「政治とカネ」問題の改革として次の2点について要望しました。

第1点は、企業団体献金の受け手を「党本部と都道府県組織に絞る(自民党・7800団体から48団体に)」という規制強化の実現です。
第2点は、「自民党派閥の裏金問題の全容解明」です。

しかし、自民党の回答は、第1点については「これから検討する」と繰り返すばかりで、一向に実行しません。第2点については「すでに決着済み」と撥ね付け、かえって裏金議員を「あえて、要職(幹事長代行)に就けた」(高市氏発言)と言い放つ始末です。

自民党のこのような姿勢は、国民感情と大きくかけ離れ、これでは政治への信頼回復は到底おぼつかないと考えました。2012年に政権を奪還した際の自公連立合意書には「決して驕ることなく、真摯な政治を貫くことによって結果を積み重ね、国民の本当の信頼を取り戻さなくてはならない」と記載されています。「決して驕らず、真摯な政治」の実現が、自公連立の原点です。

事ここに至り、やむなく公明党は「連立離脱」という苦渋の選択を致しました。どうか、皆様のご理解を賜りたいと切にお願い申し上げます。

10月11日のテレビ朝日は、「平和と福祉を大切にした自公連立政権での公明党の成果」として次の3点を紹介していました。
第1点は、2003年自衛隊のイラク派遣を可能にする「イラク特措法」において、その活動範囲を非戦闘地域に限定したこと。
第2点は、平和安全法制において、憲法の定める専守防衛の観点から武力行使について厳格な要件を定めたこと。
第3点は、消費税10%の課税に際し、軽減税率を導入したこと。
これらは、いずれも大激論の末、公明党がブレーキ役として自民党に譲歩を迫り勝ち取った成果です。

思えば、「自・社・さ政権」を始め、これまで多くの政党が自民党と連立を組みましたが全部消滅しています。少数政党ながら、26年間自民党に吸収もされず、しっかりとブレーキ役、バランサー役を果たしてきた政党は、公明党しかありません。柔よく剛を制すに倣えば、「小よく大を制す」と自負しています。これも、偏に党員・支持者の皆様のご支援の賜物と深く、深く感謝を申し上げます。

与党から野党になることによって、一時的には政治的な力を失うかもしれません。しかし、与党に残って公明党の立党精神である「平和、人権、福祉、清潔」の理念を失ったのでは、公明党そのものの存在意義が失われてしまいます。

私の郷里、新潟県燕市立中学校の応援歌に「群雄、鹿(しか)追う中原に、薫(かおる)誉(ほまれ)の旗かざす、燕中(えんちゅう)健児の意気知るや」という歌詞があります。不思議ですね。私は今、70年ぶりにこの歌を思い出し、声に出して歌っています。
そうだ!中原に誉れの旗を立てよう!自分自身を鼓舞しています。

日本の政治は、どの政党も過半数を有しない「多党化」の時代に入りました。混迷する政界において、公明党が「平和、人権、福祉、清潔」の旗印を高く掲げ続けることによって、必ずや保守中道の結集軸として復活する日が来ると固く信じています。
皆様には、大変ご迷惑をおかけいたしますが、どうか今後とも公明党に対する変わらぬご支援、ご鞭撻を賜りますよう心よりお願い申し上げます。

末尾になりましたが、皆様のご発展とご健勝をお祈り申し上げます。

2025年10月20日

元公明党国会対策委員長
弁護士 漆原 良夫